コトバの向こう側への旅。「虹を渡る」

「虹を渡る」(2000年3月)っていうアニメーション作品を
美術大学の卒業制作で作った事がありました。


◎コチラの動画サイトで見る事が出来ます。
→つやつや on VEOH《ビオ/ヴィオhttp://www.veoh.com/users/TSUYATSUYA
→『虹を渡る。CROSS OVER TO THE RAINBOW』http://www.veoh.com/videos/v352450gtP2REcg


基本的に「作品」というのは
それ自体で完結していないといけないと考えているので、
このアニメについても今まで特に解説をしたりした事はありませんでした。

でも以前に、この作品のコンセプトを知りたいとメールを貰った事が
あって、そのときにコンセプトを文章化してメールしたものがあったので、
「コトバ」についての僕の考えの一端が伝わるカモと思って
以下に転載してみます〜〜〜。




《表現したかったのは、「コトバの向こう側への旅」の記録》

●●●まず始めに、「コトバ」とは何か?●●●

それについて考える必要があります。
私たち人間は「コトバ」によって、世界を把握し、分析し、思考し、行動します。
そうして人間は「コトバ」で文明・文化を築き、生活を営みます。
「コトバ」という道具を手に入れる事によって、
やがて人は動物や自然を支配することまで、可能となりました。

コトバとはそんな素晴らしい力を人間に与えた道具。
ただし、それと引き換えに人間は、大きな犠牲も払ったのではないでしょうか。

それは「コトバ」でしか、世界を把握出来ないし、
思考できなくなってしまったと言う事です。
私たちは考える時、常にコトバで考えている筈です。
頭の中で「コトバ」を操り、思考しているのです。

例えば「赤い花」があるとします。
私たちはそれを見て、「これは赤い花だな」と、
「コトバ」を使って理解しています。
同時に「赤い」とか「花」という、
「コトバ」で形成された「概念」で理解しています。

ここに大きな問題があるのです。
「赤い花」という対象を人間というのはありのままに受け止めているのではなくて、
「赤い花」という「コトバ」と概念に置き換えて受け止めているのです。
だから私たちは、実は「コトバ」でしか世界を捉えられなくなっているのではないでしょうか?

●●●ではコトバを使わずに世界を捉えるとは?●●●

たとえば動物はコトバを使っていません。
だからといって思考力がないわけではない。
その代わり、全身の神経を使って世界を「ありのままに感じている」筈です。

そしてコトバを覚える前の、人間の赤ちゃん。
これも動物と同じように世界を「ありのままに感じている」筈です。
「コトバ・概念」も何もない、ありのままの姿の世界。
きっと、その世界は常に驚きに満ちていて、
キラキラと美しく見えていると思うのです。

●●●コトバから自由になるために、旅にでる。●●●

やっと本題に戻ります。
ありのままに世界を感じるために、「コトバの向こう側への旅」をする、
それがこのアニメの主題です。

アニメに出てくるモチーフ
「文字の無い本」。・・・「コトバ」から離れていくこと
「羊」・・・これは「夢」に繋がるものとして登場しています。
       夢は無意識から健在意識へのギフトのようなもの。
       そして無意識も「コトバの向こう側」にあります。
バベルの塔」・・・聖書の中の有名な寓話ですね。
          「コトバ」にまつわる面白い話で大好き!なのです。

※ラストシーンは、主人公らしき人物が羊へと姿を変えて、
バベルの塔を登っていきます。
きっとそこはコトバの向こう側なのです。

●●●全ては夢のようなもの●●●

上記のようなテーマを元にしつつ、
いろいろなイメージをアレコレと詰めこんでいます。
全体で「夢」のようなイメージにしたかったのです。
難しいコンセプトは忘れて
このアニメではただ、
「夢」のようなへんてこイメージを楽しんでいただければ
充分だと思っています。
コンセプトは別に伝わらなくてかまわない。
逆にコンセプトは何だろうとか気にしないで欲しいくらいなのです。
結局、「コンセプト」というもの自体も、
「コトバ・概念」の延長でしかないのです。
そんな事よりも
「夢のようなイメージ」を感じてくれればいいかなと。

●●●夢日記●●●

話が脱線しますが、
大学の頃、1〜2年ほど夢日記を付けていました。
夢は、そのイメージそのものに興味があり、
夢の分析には今でも全く興味がありません。
何かありそうで、なさそうな不可解なものほど、
わくわくします。


●ドリームぽろぽろ。空想ダイアリー【夢日記と空想】
http://ameblo.jp/tsuyatsuya2




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