アート鑑賞における3つの極意、みたいな。

【つやつやアート鑑賞法】

こんな鑑賞法で、いつもアートを見ていマス。

みなさんは、美術館や博物館に行った時、どのように鑑賞しますか?(「行かないよ」という声も多数聞こえてきそうデスが...。)つやつやには、いつからか実践している美術鑑賞の「極意」があったりします。しかしコレ、良識のある方は、かなり眉をひそめそうな極意デス。借りにも美術をちょこっとカジッたことのある人間が言う発言には聞こえないだろうなあ...。美術を愛している人なんて、コレを聞いたら怒り出すかも知れません...。しかしこれ、かなり有効な鑑賞法だと思うのです〜。ではでは、その鑑賞法をちょこっと解説させてください。( ゚Д゚)

極意その1「期待しない」

まず一つ目の極意、「期待しない」!こんなにも世の中にエンターテイメントが溢れている時代です。テレビをつけると、面白ろ可笑しいモノがやっています。だから美術に過度な期待をしてしまうのは、とてもかわいそうというものです。意気込んで美術館に乗り込もうものものなら、ガッカリする結果を招きかねません。「もしかして何かちょっと発見があるカモよ?」ぐらいに軽く考えて、「美術館に行くついでに近くのあの公園とあのお店も行こうかな...」等々、プランを立てましょう〜。これで美術への過度の期待を分散できる筈デス。つまりはリスクの分散、リスク・マネイジメントになる訳なのデス!!!

極意その2「ちゃんと見ない」

そして会場に入ってから二つ目の重要な極意、「ちゃんと見ない」の発動デス!間違っても、最初から最後まで意気込んで全部じっくり見ようなんて思ってはいけません。そんなのは、もの凄い精神的労働以外の何ものでもありません。疲労困ぱいです。どんなに全部をじっくり見ることができたとしても、ココロに残る作品なんてのは、結局は数点しかないものです。逆に言えば、数点でもココロに響いてくるものに出会えたのなら、それでもう充分なのです。
だからですね、「ココロに響かない100の作品」を黙々と鑑賞する事に神経をすっかり消耗させてしまって、「本当にココロに響くただ1つの作品」をじっくりと味わうチャンスを逃してしまわないようにしてください。それはとっても馬鹿げたコトですよ?
具体例を出してもうちょっと詳しく説明してみます。仮に100の作品が展示されていた展覧会があったとします。これをAさんは、1作品につき30秒かけて、解説文も漏らさず読んで、なに一つ漏らさないように意気込みながら全部鑑賞するとします。反対にBさんは、これはと思った作品を5分鑑賞したら、あとの作品は全部流す!!残りの作品は雰囲気だけ味わえばいい程度でさくさくと流す〜。(雰囲気だけなら1秒見るだけで充分かも。どんどんスルー。)結果Aさんは、疲労困ぱい。しかも最後の頃には、最初の方に見た作品なんて、とっくに忘れてしまっているなんてコトもあったりします。一方Bさんは、時間を掛けずに鑑賞を終えてマス。しかもずっと胸に残る作品に出会えて大満足、なんてことになっているかもなのデス。
もう一つ注意しなければならないもの、それが「あいさつ」とか「解説」「時代背景」「年表」...とかいった文章です。こいつがなかなかのクセモノ。たいていはコムズカしい言葉でもって、「上から目線」で偉そうに書いてあったりするのデス。(あたかも美術には「権威」があるように見せかけたいという、そんな見えざる気配を感じずにいられません。)なので時代背景だったりとか、作品の手掛かりになりそうな箇所だけ拾い読み。言ってみればそれらの文章は美術館が仕掛けた障害物みたいなモノ。学芸員や評論家はこの障害物を作ることでお金を貰ったりできるのですから世の中は不思議です。こんな障害物競走に無理矢理参加させられる鑑賞者って一体...。だからですね、要はいちいち全部読まずに適当にささっと流しましょうね〜。

極意その3「少しだけ俯瞰」

最後の仕上げも重要デス!作品を最後まで見たトコロで訪れる最後の関門、それが「お土産買わなきゃ買わなきゃコーナー」(出口)。やっと作品を見終わった開放感から、ココで一気にココロを緩めるのは危険デス。急に解放されるてココロが緩むと、財布の口まで緩みかねませんヨ!注意!注意!注意なのデス。
それよりも最後の仕上げとしてやっておくべき、もっとも重要なコトがあるのです!!!それはもう一度、入口までトットコと引き返してみるということです。そして、いま一度、「ココロに響いた作品」だけを軽くおさらいしていくのデス。(この時には、それ以外の作品には目もくれずにスルーです。)全体を把握したことにより、最初よりもちょっと広い視野で鑑賞できたりします。しかも2度目の鑑賞。前には気付かなかった新しい発見が割とあったりするのデス。いってみれば俯瞰的な視点の獲得ができるのデス。
こうすることで、気に入った作品の余韻が、ずっとずっとココロに残るという、幸せな鑑賞の出来上がりです〜。

自分がイイと思ったモノ、それがイイものなのです。

そもそも「美術」とは、とりたてて高尚でもないし、偉くもないモノの筈です。(もし高尚なものだと感じているとしたら、そう感じさせようと企む何かに、まんまと騙されているのかもしれませんヨ。)重要なのは、「自分」で感じるコトだと思います〜。結局のところ、「自分がイイと思ったモノがイイ。」これしかありません。イイと評論家が言っているモノだからって、合わせて自分もイイと思う必要は全然ありませんヨ。
だから、こういった自分なりの鑑賞法の方が、真の意味でイキイキ、美術を鑑賞できると思うのです。騙されたと思って、試してみてはどうでしょうか〜。( ゚Д゚)




※ちなみに今回の記事は、つやつやビジョンBLOGに以前書いた記事「こんな鑑賞法で、いつもアートを見ていマス。」(2006.8.19投稿)を加筆修正して掲載致しました。