環境問題は、実は環境の問題ではなかった?

つやつやブロッサム




環境に何が起こっているのか?と周りをキョロキョロ。

えっと、ちょうど1週間ほど前のことになるんですけどネ、このブログ用に新たな記事を1つ書いてたんですよね。まあ4時間位かかって苦労して長々と書き上げたんです。内容はっていうと環境モンダイにまつわるアレコレみたいな感じデス。でも書き上げてから旧に冷静になって全部削除しちゃいました。何してるんだか?
無いアタマをあれこれ使って考えてはみたものの、冷静になると、環境モンダイについて自分は何かを語るほどの知識が無さすぎるなと気づきました!....気づくのが遅すぎですが、とにかく全然未熟者なのデス。そんな中、自分の発言に責任が持てなさすぎで恐ろしくなりました...。「あるモノゴトの環境への影響はどうか?」っていう事を考えても、いろんな研究者や自然保護論者や一般人が、それぞれの立場でもってそれぞれの信念に基づいて発言をしています。ある説は明らかに偏った見方だと思ったり、こっちの説は正しそうと感じたり、でもでもあの説だって一理あるかもと感じたり...。ネットや書籍を漁ってはあれこれキョロキョロ。あっちでこう言えば、こっちでああ言う...。結局なにがなんだか分からなくなって大大大混乱。つやつやの脳内メモリーの上限を超え過ぎです。

環境問題は違うモノにすり替わってる?。

「環境問題」とはヒトコトで言うとするなら、地球上の諸要因の相互作用の結果で引き起こされる地球環境の変化の総体のコト、だと思う。。それはあまりに多くの要因が複雑に絡み合っていて、そのメカニズムをすっかり解明する事なんてあたり前だけど誰にもできっこない。だから研究者によって全然違う予測がなされてしまいマス。そして更に問題をややこしくしているのが最近のエコブーム。企業がエコを謳うが消費者の選択に影響を与えると分かってきてから、企業はエコを謳うのにもう必死。しかも経済は広告イメージで簡単に動くものみたいですから、本当にエコかどうかではなく、いかにもこれはエコだとイメージさせる事が重要になってるみたいですし。エコが環境問題ではなくビジネス手段にいつの間にかすり替えられてる...。
さらにさらに経済レベルだけでなく個人レベルでもタイヘンです。「エコのこと考えてます私」ってことがなんか最先端?みたいな風潮で。ロハスって歯の浮いたようなコトバがまるで魔法のようにメディアで踊っている...。エコ、ロハススローライフ...。なんて口当たりが良くて便利で素敵な呪文でしょう?!そろそろ、お猿さんでも言い出すようになるかもしれませんネ。例えば最近の「エコバッグ」ブームにはビックリして開いた口が塞がらないぞっと思ったり。とりあえずエコバッグを雑誌の付録に付けるのだけはヤメテくれませんか?!えっ、駄目?読者に好評なんですか?....(((( ;゚Д゚)))...わかりました....。
どうやら「エコバック」の効果がよく分からなくなってきました...。「エコバッグ」や「エコ」のもともとの素晴らしい理想は、個人のちっぽけな満足感という「エゴ」にでもすり替わってしまったんでしょうかね?誰が言ったかは知りませんが、「エコ」は所詮「エゴ」とは、なかなか良く言ったものです。このモンダイでも推進派と反対派の主張がぐるぐる渦巻いてしっちゃかめっちゃか。こういうことは「バイオ燃料」や「割り箸」とかのモンダイでも同じように論争が続いて、もうカオス。これについ
て、どっちが正しいのか、またはどっちもどっちなのか?ううう...。もう全然わかりません。(( ;゚д゚))アワワワワ

だから、「問題」をどう捉えるかというのが一番の「問題」なのデス。

一体全体、何を信じればいいのやら...。自分の立ち位置がなんともオボツカないのデス。前に伊集院光氏(痴豚様)のラジオにゲストで出ていた茂木健一郎が、脳科学の研究について「一つわかると十わからないことが出てくる」という例えをしていたんですけど、これは今の社会全体に言える事な気がします...。知れば知るほど分からなくなっていくという無限地獄、仏教で言うところの無間地獄...。

しかもですよ、環境問題だけじゃなくて原発問題や捕鯨問題とか、この手のモンダイの一番困難なところっていうのは、実は議論が行き着く先は結局のところ「感情論」になってしまうトコロだと思うんですよね...。一見すると、科学的な立場で研究データなどを引き合いに客観的に論争をしているようでいて、でも結局は自分の信念や持論みたいなトコロに寄りかかった上での偏った目線から収集した「科学的根拠」の押し売りでしかなくて....。だって良く考えていくと、「モノゴトを客観的に見る。」とか「あらゆる側面からモノゴトを多面的に捉える」とかそういう理想ってのは実はただの幻想でしかないと思うんです。僕は「客観」なんて視点は、架空の概念でしかないんじゃないかと最近疑ってるんですよ。だってどうやっても僕たちは「自分」という存在からは逃れられないのだから、同じように「主観」からも逃れられない筈です。だからもしも「客観」という視点があるとしたら、それは一神教における造物主である“神”にしか持てない視点だな〜と感じるのです。そして当然ながら僕たちは造物主ではない訳でして...。(ちょっと話が脱線。)
mixiとかの環境系コミュやら2ちゃんねるやら覗いてみると、推進派と反対派の議論は結局のところ相手への個人攻撃に発展してしまいもう目も当てられないですもの....。ああいうスレとか覗いちゃうと、かなり凹む.....。もうホラーみたい。いやいやホラー以上に恐いのなんの...。結局のところ、一番怖いのは、環境破壊でも放射能でもなく人間そのものなのだなっていう最悪の結末になってしまうのです....。( ゚д゚)!!!!しまった!こんな結論になるなんて.....(( ;゚д゚))アワワワワ 酷スギル....(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル





◎そんな訳で、「どういう立ち位置で世界を見ればいいんだろう?」という難問を抱え支離滅裂なまま終わらせていただきマス。あしからず。


◎後日談
つやつや 『僕、君のこと、この前はちょっと言い過ぎたよ。ゴメンね( ゚Д゚) 』
エコバッグたん 『ううん、もういいの。誤解を招くような行動をしてしまった私も悪かったんですもの...。』
つやつや 『エ、エコバッグたん....。(ポッ)  (*´Д`*) これからはエコバッグたんのコト大切にする! 』