「わからない」ことが、生きる喜び!かも。
「わからない」ということ。
茂木健一郎さんの「脳と仮想」を読んだあと、続けざまに養老孟司さんの「バカの壁」・「超バカの壁」を連続で拝読〜。このお二人に共通している知的探求へ向かうスタンス。そのあまりの素晴らしさに、つやつやはすっかり感服!!お二人ともに「理解する・わかる」ということがいかに困難であるかを「わかって」いて、決してうぬぼれたり慢心することなく、あくまでも謙虚な姿勢で一人の人間として知的探求を続けているのです!
つまり「わからない」んだということを、本当に良く「わかっている」!!!(「わからない」ということ自体が「わからない」人たちは、そこで思考停止に陥り、「バカの壁」が築かれる...。)だからこそ、五感をフル動員して全身全霊でもって知的探求をしている。そういった素晴らしいスタンスが有るからこそ、お二人の話には、いつも学問の喜びがぎゅっと詰まっているんですね〜!( ´∀`)大感激!
茂木健一郎さんのクオリア日記「わかったこととわからないことの比率」という記事から引用。
よく、「脳の神秘は何%くらいわかっているのか」と聞かれるが、
100あってそれを隅からつぶしていくということではない。
「一つわかると十わからないことができる」というのが実感である。
「わかっている率」は研究の進行とともに逓減していくのではなく、
つねに「わからないこと」が切り開かれるので、
わかったこととわからないことの比率は、いつもかわらない。
「わかる」という「ハンドル」がつかなければ、
そもそも何がわからないかもわからない。
わかることは、わからないことの水先案内人なのである。
人生について知れば知るほど、わからないことも増えてくる。
ある人について見聞きするほど、その人のことがわからないとわかる。
一つ「わかる」の枝が伸びると、そこから十の「わからない」の枝が伸びる。